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夏目漱石の『三四郎』という小説のなかに、正月に「明けましておめでとうごいます」と言われた三四郎は何がおめでたいのかさっぱり分からないという一節がある。
今日は日中の正月に纏る話をしよう。
大昔、正月には雪が降り、寒い上に食べる物も乏しいため、死んでしまう人が後を絶たなかった。それを防ぐためなのだろうか。
大晦日に「年」という恐ろしい怪獣が人を食いに人里に現れるという噂が広まり、人々は家の中に集まって、年の瀬(中国語では「年关」という)を過すようになった。
同じ家の中で過すにしても、日本と中国では過ごし方が違う。
日本人は「年」が人を食うために来たのだから、人が既に亡くなった(喰われた)と「年」を騙せば、家に来ないのではないかと思った。そこで、
日本の正月の色は白になった。戸にしめ縄、玄関脇に門松を飾る。これらはいずれも、中国では誰か家の人が亡くなった時飾る物である。
もちろん、人が既に亡くなったことにしているのだから、家族は決して物音を立ててはならないし、火も起してはならない。そのため、正月料理はみな冷たいまま食べられる物である。
それでも安心できず、門松に尖った竹槍を縛りつけ、怪獣が踏んだ時、痛がって逃げて行くのを願う。家の中で息を潜めて、寒さ、恐怖と睡魔(寝てしまったら、怪獣が来た時、逃げ遅れてしまう)と闘う。
そのような夜がようやく明けると、人々は生の喜びを祝って、誰かに会う度、「明けまして、(生延びて)おめでとうございます!」と口々に言うのである。
同じく中国人も人喰いの「年」が来ないように大晦日には寝ないで家族が集まる。獣なら火を怖がるからと、火を焚く。そこから、
中国の正月には赤色が好んで使われ、戸には赤い「春联」、窓には縁起のいい「剪纸」が貼られるようになった。
ある時、薪がないと、竹を篝火にいれたところ、竹の中の空気が暖められて弾けた。赤々とした光と共に、「パーン」と大きな音が立った。その時、
戸の外で何物かが一目散に逃げたような物音がしたので、人々は「年」が逃げたのではないかと考え、その後厄払いのため、爆竹を発明した。
そのようにして、年越しは日本では静かに、中国では賑か(大騒ぎする)に過すようになったのである。
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